マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

自分の娘や息子を素材にしてまで

 “陰惨・暗鬱な恋”や“狂騒・怨讐の愛”を物語の主題に据えるには――
 それなりの釈明をしなければならない――

 という話を――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 以上の主張は――
 以下の問いへの答えを探る上で――
 僕なりに辿りついた足がかりです。

 その問いとは――
 すなわち、

 ――ある職業作家が、自分の娘や息子を素材に、“陰惨・暗鬱な恋”や“狂騒・怨讐の愛”の物語を描いたとして、その作品に読者は何を求めるのか。

 という問いです。

 もちろん――
 ふつうに力量のある職業作家であれば――
 ミステリー小説であれ、ファンタシー小説であれ、アクション小説であれ、恐怖小説であれ、伝奇小説であれ、官能小説であれ――
 そういう作品を苦も無く書き上げるでしょう。

 が――

 読者は――
 そうした作品に何を求めるのでしょうか。

 ……

 ……

 僕は、

 ――釈明

 だと思うのですね。

 ……

 ……

 なぜ、そんな小説を――自分の娘や息子を素材にしてまで――書き上げたのか――

 その動機や執念の出所――

 あるいは――
 世に何を問いたかったのか――

 それとも――
 ただの暇つぶしで書いたのか――

 単なるカネ稼ぎと割り切ったのか――

 ……

 ……

 そうした作家の釈明を――
 読者は、知らず知らず、求めているのではないか、と――
 思います。

 その釈明には――
 作家の思想や哲学、嗜好――あるいは、人生観、社会観――あるいは、為人の全てが――
 少なからず反映されるはずです。