マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

歌の性別

 歌の性別は――
 以下の3つの観点から、計8通りに分類されえます。

  1) 書いたのは男性か、女性か
  2) 男歌か、女歌か
  3) 唄い手は男性か、女性か

 1)や 3)については――
 とくに説明は要らないでしょう。

 1)は、その歌を書いたのは(とりわけ詞を書いたのは)男性か女性か、ということであり――
 3)は、その歌を唄っているのは男性か女性か、ということです。

 2)については――
 少し説明が要るかもしれません。

 男歌というのは――
 詞に描かれた主人公が男性である歌のことで――
 女歌というのは――
 詞に描かれた主人公が女性である歌のことです。

 通常――
 詞は、

 ――人物の独白

 という体をとりますから――
 その主人公というのは、独白の主体(「私」「僕」「あたし」「オレ」など)であることがほとんどです。

 典型的には――
 男歌は、男性の言葉遣いで書かれ――
 女歌は、女性の言葉遣いで書かれます。

 が――
 男歌か女歌かの判別は、必ずしも言葉遣いだけではできず――

 文脈に即して――
 文意を一字一句、正確に辿ることが必要です。

 ……

 ……

 で――

 これら歌の性別のうち――
 もっとも自然なのは、

  男性が書いた男歌を男性が唄うパターン

 と、

  女性が書いた女歌を女性が唄うパターン

 との2通りです。

 が――
 これらは、ちょっと自然すぎて――
 当たり前すぎるので――

 少なくとも僕には――
 退屈に感じられることがあります。

 かといって――
 奇をてらい、男性が女歌を書いたり、女性が男歌を書いたりするのも――
 いただけません。

 異性のことは――とくに異性の情念は――なかなか、わからないものです。
 どうしても、観念的な理解にとどまってしまう――

 例えば、演歌などで――
 男性の書いた女歌が――
 演歌ファンの垣根を越えて幅広く支持されることは稀ですが――

 それは――
 その女歌の詞が、観念先行で書かれてしまっているからでしょう。

 「観念先行」というのは――
 簡単にいうと――
 情念が定型的な言葉に記号化されて、それら言葉が理屈っぽく組み合わされてしまっている――
 ということですね。

 当然、そういう詞は――
 女性の情念を熟知している当の女性たちからは、なかなか共感を得にくく――

 また――
 そうした実情を敏感に察知している男性たちからも、ほとんど関心を払われません。

 このような原理的な困難が――
 男性が女歌を書くことや女性が男歌を書くことには含まれます。

 十分に慎重であるのがよいでしょう。

 よって――

 消去法的に考えて――

 冒頭に挙げた8通りの歌の性別のうち――
 僕が断然、面白いと感じるのは、

  男性が書いた男歌を女性が唄うパターン

 と、

  女性が書いた女歌を男性が唄うパターン

 との2通り――
 ということになります。