マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

退き際の実学はあったか――美学ではなくて

 カルロス・ゴーンさんの逮捕劇に触発されて――
 いわゆる、

 ――退き際

 について――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 この“退き際”については、

 ――美学よりも実学を――

 といった主旨で――
 2年前の5月6日の『道草日記』に書きました。

 すなわち、

 ――美しい退き際ではなくて、誰もが実害を被らない退き際が大切である。

 といった話です。

 ここで強調したいのは、

 ――誰もが実害を被らない

 の部分です。

 この「誰も」の中には――
 自分自身も含まれます。

 自分一人が実害を被る形での退き際は、ただの自己犠牲です。
 それは、退き際の実学――“美学”ではなくて、“実学”――には反するのですね。

 ……

 ……

 ゴーンさんに、

 ――退き際の実学

 はあったでしょうか。

 たぶん、

 ――退き際の美学

 は、あったと思うのです。

 経営のカリスマとして、日本国内はもとより、国際的にも有名な人です。

 美学的なセンスがなければ――
 あれほどのカリスマを演出することは不可能でしょう。

 が――

 “実学”のほうは、どうであったか――

 ……

 ……

(なかったんじゃないかなぁ~)
 というのが――
 僕の印象です。

 少なくとも、強く意識してはいなかった――

 ――輝かしい勇退

 の美学を意識して追究するあまり――
 実学のほうが疎かになってしまっていた――
 だからこそ、うっかり、

 ――逮捕される

 という――
 とんでもない実害を被ってしまった――
 
 そんな気がします。

 ……

 ……

 もちろん――

 あくまで――
 結果論ですが――