マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人間を2つに分ける(12)

 いわゆる、

 ――心身問題

 の「身」とは、「体」のことではなく、

 ――人間

 のことではないか――
 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 つまり、「心身問題」とは、

 ――体は、いかにして心を生み出すのか。

 という問題提起なのではなく、

 ――人間は、いかに心を内包するのか。

 という問題提起なのではないか――
 ということです。

 ……

 ……

 2週間ほど前(11月18日)の『道草日記』で、


 に触れました。
 心と体とは互いに独立しているという考え方です。

 すぐにおわかりのように――
 「身」を「人間」と捉えるなら、「心身二元論」という表記は誤りです。

 ――心体二元論

 と記すべきでしょう。

 ところが――
 面白いことに――
 まあ、当然といえば当然なのですが、

 ――心身一元論

 という表記は――
 直ちに誤りとはいえません。

 「身」は「心」を含むからです。

 ただし――
 心身一元論にも様々な考え方があります。

 それら考え方を2つに大別すれば、

  身 - 心 = 0

 とみなす考え方――
 および、

  身 - 心 = 体もしくは他の何か

 とみなす考え方――
 の2つです。

 2週間ほど前の『道草日記』で――
 僕は、心情的には、心身一元論に近い考え方を採っていると述べました。

 実は、

  身 - 心 = 何か

 とみなす考え方を採っています。

 この「何か」には――
 とりあえず「体」が代入できるとは思っていますが――

 実際には、
(そう簡単ではないだろう)
 とも思っています。

 すなわち――
 心は、ゆくゆくは物理学的な現象――あるいは、生理学的な現象――として理解できると考えていますが――
 物理学――あるいは、生理学――が、心を記述できるようになったときに――
 その説明の中には、今日の物理学――あるいは、今日の生理学――には存在しない用語(概念)が含まれているのではないか――
 そして、その際には、「体」は、今日の「体」とは次元の異なる概念になっているのではないか――
 と考えています。

 要するに――
 僕のいう、

  身 - 心 = 何か

 の「何か」とは、

 ――今日の「体」の概念とは次元の異なる何かの概念

 です。