マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人間を2つに分ける(17)

 ――人間を2つに分けたら、“袋の体”と“網の心”とになる。

 という話を――
 きのうまでの『道草日記』で延々としてきました。

 きょうで17回目ですので――
 そろそろ、やめようかと思いますが――(笑

 ……

 ……

 そう思って――
 これまでに述べてきたことを振り返ってみて――
 あらためて感じ入ることがあります。

 それは――

 ……

 ……

 ――袋の体

 というのは、あくまで、

 ――物

 が基盤であり――
 それら物の数々が巻き起こす、

 ――事

 が、「体」という概念の在り方を、きわめて盤石なものにしている――
 ということです。

 その「在り方」というのも――
 外側の温度とはほぼ無関係に、内側の温度がほぼ一定に保たれている、という――
 実に“不思議な袋”としての在り方です。

 その不思議は、

 ――散逸構造

 に根ざしています。

 一方、

 ――網の心

 というのは、あくまで、

 ――事

 だけであり――
 その基盤となって、事を巻き起こしている、

 ――物

 の存在感や、その物が介在する余地というのは、ほぼ皆無にみえる――
 という点で、「心」という概念の在り方は、きわめて脆弱です。

 もちろん――
 その在り方は、それなりに不思議ではあり――
 その不思議は、

 ――間主観性

 という精緻で巧妙な発想に根ざしてはいます。

 が――

 ……

 ……

(本当に、これでいいのか?)
 と――

 僕は思うのですよね。

(いくらなんでも、ちょっとバランスが悪すぎるだろう)
 と――

 ……

 ……

 8日前の『道草日記』で――
 僕は、

 ――人間を心と体とに分ける仕方は、心を不当に重視しているようにみえる。

 と述べました。

 ――心は“人間に関わる事”のごく一部分であり、体は“人間に関わる物”の全部と“人間に関わる事”の大部分とを合わせたものである。

 というのが――
 その理由でした。

(ちょっとバランスが悪すぎるだろう)
 というのは――
 何を隠そう――
 その理由の中身です。

 すなわち、

  ――心は“人間に関わる事”のごく一部分であり、体は“人間に関わる物”の全部と“人間に関わる事”の大部分とを合わせたものである。

 という命題それ自体が――

(バランス悪すぎ――)
 ということです。

 では――
 どうすればよいか――

 ……

 ……

 簡単です。

 例えば――
 この命題を以下のように書き換えてみたらよい――

 ――心は“人間に関わる事”のある部分であり、かつ“人間に関わる物”のある部分でもある。また、体は“人間に関わる物”のある部分であり、かつ“人間に関わる事”のある部分でもある。

 ……

 ……

 僕は――
 この書き換えで得られた命題の中で、

 ――心は“人間に関わる物”のある部分でもある。

 というところに――
 現代科学の沃野を感じます。

 あるいは――
 現代哲学の沃野といっても――
 よいかもしれない――

 ……

 ……

 結局のところ――

 その“沃野”の実態は、

 ――“人間に関わる物”で、心の基盤となっている部分は、何なのか。

 という問いです。

 現代科学では――
 その問いの答えは――
 とりあえずは、

 ――脳

 です。

 が――
 多くの科学者・哲学者が疑義を示しているように、

 ――本当に脳だけか。

 という問題は残ります。

 ――もし、脳だけでないとしたら、いったい、どこまで広げるべきなのか。

 とか――
 あるいは、

 ――実は、脳のごく一部分にとどまるのではないか。

 とか――

 ……

 ……

 ――脳科学(Brain science)

 は――
 現代科学の花形の一つです。

 が――
 脳科学が今後も花形であり続けるためには、

 ――心の基盤となっている物は何か。

 との問いを――
 いつまでも忘れないことが必要でしょう。