マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人間を2つに分ける(18)

 ――人間を2つに分ける

 のお話は――
 きょうを最後にします。

 ……

 ……

 ――“人間に関わる物”で、心の基盤となっている部分は、何なのか。

 という問いこそが――
 現代科学ないし現代哲学に大いなる実りをもたらすに違いない――
 という予測を――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 とはいえ――

 ……

 ……

 残念ながら――

 この問いに正面から答える術を――
 現代科学は、もっていません。

 現代哲学は、もっていないこともありませんが――

 でも――
 哲学という学問の性質上――
 万人を納得させうる具体的な回答を示すことは、たぶん不可能でしょう。

 そんな回答を示すには――
 科学技術がもたらす革命的な発想転換が新たに要るはずです。

 そのような転換をもたらしうる技術として有力なのが、

 ――生きている人間を被験者にし、心の働きと体の働きとを同時に観察できる。

 という技術です。

 例えば――
 人間が何かを感じたり、考えたり、考え出したりしている、まさに、その時に――
 その同じ人間の脳の中で何が起こっているのか――
 そこで起こっている何らかの事象を、断片的にせよ、数値化ないしは記号化する――
 そういう技術です。

 ――詳細に

 というのは――

 例えば――
 脳のある部分を構成する全ての細胞の一つひとつごとに、とか――
 脳のある部分を構成する全ての細胞の各々の部位ごとに、とか――

 そういった意味です。

 ……

 ……

 そんな技術が――
 もし、本当に確立されれば――

 ひょっとすると――

 現代科学には手も足も出ない難問――
 すなわち、

 ――“人間に関わる物”で、心の基盤となっている部分は、何なのか。

 という問いにも――
 いくらかの手がかりは得られるでしょう。

 万人を納得させうる具体的な回答でさえ――
 不完全ながらも、提示できそうな気がします。

 ……

 ……

 そんな気がするからこそ――

 僕は――
 ときどき、人間を2つに分けてみたくなります。

 ――心と体と

 の2つに、です。

 今のところ――
 散逸構造としての“袋の体”と――
 間主観性としての“網の心”とに――
 これといった関連は見出せません。

 が――

 ……

 ……

 つきなみのいい方になりますが――

 “袋の体”と“網の心”との間には――
 今の僕らには思いもよらぬ形で――
 何か関連があるような気がしてならないのです。