マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人間を2つに分ける(16)

 ――心の網は客観性らしい何かを絡め取る。

 ということを――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 こう述べると――

 勘の良い人は――
 すぐに気づくでしょう。

 ――網の心

 の不思議が――
 何の不思議で置き換えられるのか――

 ……

 ……

 それは、

 ――間主観性

 の不思議です。

 ……

 ……

 ――間主観性

 の概念を最初に提唱したのは――
 エトムント・フッサールであると考えられています。

 19世紀後半から20世紀前半にかけて活動をしたオーストリアの哲学者です。

 この考え方に立つと――
 人間にとって確かなのは、いわゆる、

 ――主観性

 だけであり――
 いわゆる、

 ――客観性

 は、不確かなものとして切り捨てられます。

 なぜか――

 ……

 ……

 詳しく論じるのは容易ではありませんが――
 思いきり簡単にいってしまえば――

 客観性というものを仮定すると――
 主観性と客観性との対立ないし並立をどのように説き明かしていくかが、大問題となるからです。

 そういう大問題を回避するためには、

 ――「客観性」などというものは、そもそも想定してはいけない。

 ということなのですね。

 代わりに想定するのが、

 ――間主観性

 です。

 これは、

 ――主観性

 が、あくまで、あなた自身の自我に由来するのに対し――
 あなた以外の人々の自我に由来します。

 つまり――
 自分の主観性ではなく、他者の主観性ですね。

 いうまでもなく――
 あなたにとって、主観とは、唯一、あなた自身の主観です。

 これに対し――
 間主観は、この世界の人間の数だけ、存在します。

 もう、おわかりでしょう。

 ――網の心

 は――
 唯一の主観と無数の間主観とが言葉という“働き”によって織り成されたものです。

 つまり、

 ――網の心

 の不思議は、

 ――間主観性

 の不思議――
 さらにいえば、間主観性という概念を導入することで、主観と客観との深刻な論理的相克を回避しうる、という不思議――
 に置き換えられるのです。