マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

老いも細部に宿る

 ――「老いる」とは、どういうことか。

 などと問いますと――
 何だか、ひどく高尚で、堅苦しい議論と思われがちですが――

 「そんな話じゃないんだよ」
 という話を――

 10年ほど前に――
 酒の席で耳にしました。

 ……

 ……

 話の主は――
 当時40代の男性です。

 「マンガの週刊誌が毎週、毎週、発売されてるだろ? わざわざ手に取らなくても、コンビニの雑誌コーナーとかで目に入る」

 たしかに――
 目に入りますね。

 「あの週刊誌の表紙のグラビアになってる女の子たちの顔が、最近、どれも同じに見えるんだよ」

 売出し中の新人アイドルたちのことですね。

 「20年くらい前は、次から次へと出てくる女の子たちの顔と名前を、けっこう夢中で追っかけて、新しいコが出てくる度に、ドキドキワ、クワクしてたもんだ……」

 けれど――
 最近では、どれも同じ顔にみえるんですね?

 「どれも同じ顔にみえるんなら、まだいいんだよ。ときどき、オレが20歳の頃に夢中になってたアイドルの顔と区別つかないことがある」

 それは――
 かなり眼力が落ちているんでしょうね~。

 「味気ないといったら、ありゃぁしない……」

 そうでしょうね~。

 「これが、『老いる』ってことなんだよ」

 なるほど――

 「な? ぜんぜん高尚じゃないだろ?」

 たしかに――

 ……

 ……

 それから10年くらいが経って――

 自分が――
 その男性と同じくらいの年齢になってみて――

 (たしかになぁ~)
 と思います。

 (これが「老いる」ってことかぁ)
 と――

 ……

 ……

 もちろん――

 ここでいう「老いる」は――
 20代から40代にかけての「老いる」であって――

 例えば――
 40代から60代にかけての「老いる」や、60代から80代にかけての「老いる」は――
 もっと違ったものでしょう。

 が――

 何でもない日常の細部から老いていく――
 という特質は――
 たぶん、どれも一緒です。

 ――神は細部に宿る。

 といいますが――

 ――老いも細部に宿る。

 といえそうです。