後鳥羽上皇は――
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
……
……
鍵になっていた人物がいます。
源実朝は――
四男ですから――
生誕当初は将軍に就くとは目されていなかったはずです。
が――
12歳で将軍に叙されました。
よって――
正当な後継者の資格をもっていました。
さらにいうと――
その北条政子の妹が乳母であったために――
北条一門の手厚い後ろ盾を備えていた将軍といえます。
この時代――
誰が母親かよりも、誰が乳母かのほうが――
その後の人生に大きな影響を及ぼしました。
この三代将軍・源実朝に――
後鳥羽上皇は、かなりの親近感を抱いていたようです。
後鳥羽上皇にとって――
これを疎んでも、全然おかしくはなかったのですが――
まったく疎もうとはせず――
むしろ親しんで手なづけようとしました。
後鳥羽上皇は――
3歳で天皇に即位してから16歳で朝廷の実権を握るまで――
ほぼ、
――傀儡(かいらい)
といってよい天皇でした。
そんな自分自身の境遇に――
12歳で将軍に叙されて北条一門の傀儡となった源実朝の境遇を――
重ねあわせたのかもしれません。
その後――
源実朝は少しずつ将軍としての存在感を発揮し始め――
いつしか北条一門の影響力から自由になっていきます。
源実朝が将軍になって間もなく――
そんな人事の工夫が――
思いのほかに功を奏したようです。
後鳥羽上皇は――
源実朝を手なずけることによって――
考えていたのでしょう。
が――
その源実朝が――
26歳の若さで暗殺されます。
承久の乱が起こる2年半ほど前のことです。
教育係として送り込まれた後鳥羽上皇の近臣も――
一緒に暗殺されました。
こうして――
あっけなく潰えました。
10年以上を費やして――
この挫折感は――
すぐに無力感へと転じていったように思います。
そして――
きのうの『道草日記』で述べた通り――
大内裏の焼失と、その再建への抵抗が――
無力感に苛まれる後鳥羽上皇に追い打ちをかけました。
こらえきれずに――
衝動に任せて鎌倉幕府を倒そうとした心の動きは――
少なくとも後鳥羽上皇にとっては――
自然な流れであったのでしょう。