マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「天皇制」は使いづらい言葉

 ――天皇

 という言葉は――
 少なくとも、使われ始めた当初は――
 かなり使いづらい言葉でした。

 「天皇制」は――
 この国の現行の国家制度を否定的に捉えている人たちが――
 その難点を――半ば侮蔑的に――暗示する目的で、使い始めたといわれています。

 つまり――
 「天皇制」を用いる時点で――
 現行の国家制度に対する態度を、すでに鮮明にしたことになっていたのです。

 が――

 今日では――
 そこまで色のついた言葉ではなくなりました。

 その理由は――
 現行の国家制度を肯定的に捉えている人たちが――
 「天皇制」に代わる適切な言葉を――
 結局は見出せなかったからです。

 一般に――
 国家制度は2つに分けられます。

 ――君主制

 と、

 ――共和制

 との2つです。

 「君主制」とは、君主が――実質的にせよ形式的にせよ――存在している国家制度を指し――
 「共和制」とは、そのような君主が存在していない国家制度を指します。

 この国の現行の国家制度は――
 素直に考えれば、君主制です。

 よって――
 この国の現行の国家制度を肯定的に捉えているがゆえに、

 ――できれば「天皇制」という言葉は使いたくない。

 と思っている人たちは――
 本来ならば、「君主制」という言葉を――「共和制」ではないという意味で――使えばよかったはずです。

 が――
 実際は、そうはいきませんでした。

 なぜか――

 ……

 ……

 一つは、

  君主制 ≠ 民主制

 の誤解がありました。

 現行の国家制度を「君主制」と呼ぶことで、

 ――民主主義を否定しようとしている。

 とみなされる恐れがありました。

 もう一つは――
 憲法です。

 周知の通り――
 現行の憲法は、天皇の地位を、

 ――象徴

 と位置づけています。

 ――国家元首

 ではないのですね。

 よって――
 初歩的な疑問として、

 ――「象徴」というのは、はたして君主なのか。

 というのが――
 当然のことながら、思い浮かびます。

 この疑問が立ちはだかることで――
 「君主制」の言葉は、ますます使いづらくなりました。

 もちろん、

 ――「象徴」ならば、いっそのこと、「象徴制」とでも呼べばよい。

 との考え方は――
 たぶん成り立ちえたはずです。

 が――
 「象徴制」では――
 国家制度の本来の区分名である「君主制」や「共和制」からは字義的に離れすぎてしまい、

 ――何のことやら、さっぱり――

 と訝る向きが続出するに違いありません。

 ……

 ……

 そのようなわけで――

 現行の国家制度を肯定的に捉えているがゆえに、

 ――できれば「天皇制」という言葉は使いたくない。

 と思っている人たちでさえも、

 ――天皇

 という言葉を黙認するしかなかったに違いない、と――
 僕は考えています。

 その結果、

 ――天皇

 は――
 今日では、かなり中立的な言葉になっているのではないか、と――
 僕は感じていましたが――

 依然――

 そうは感じない人たちも――
 少なからず、いるのですね。

 ……

 ……

 昨今――

 平成から令和への改元や前天皇の退位・新天皇の即位に伴って――
 いわゆる天皇制の在り方が、しょっちゅう話題にのぼりましたが――

 そうしたなか――
 決して「天皇制」という言葉を使おうとしない人たちが相当数いることに――
 あらためて気づかされました。

 ……

 ……

 (どうやら、「天皇制」が使いづらい状況は、今も変わりないようだ)

 そう――
 思っています。