マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

今回の改元で漂った祝賀ムードの背景

 改元が行われるのは、一般に、戦災や天災が起こり、世情が乱れたときであったことから――
 今回の改元で――つまり、平成から令和への改元で――お祭り騒ぎをして祝うのは不自然である――
 というようなことを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 が――

 ……

 ……

 今回の改元では――
 明らかに祝賀ムードが漂いました。

 いわゆるお祭り騒ぎは一部であったようですが――
 何となく、

 ――めでたい!

 という雰囲気が――
 この国の全体を覆ったことは――
 確かであろうと思います。

 一種の社会現象といってよかったと思います。

  この現象の背景には、何があったのでしょうか。

 ……

 ……

 (実は、かなり複雑なメカニズムがあったのではないか)
 と――
 僕は考えています。

 まず着目するべきは――

 メディアで繰り返し取り上げられていましたが――

 今回の改元に弔事が全く絡まっていなかった――
 ということです。

 直近の過去4回の改元は――
 いずれも前天皇・逝去に続くことでした。

 前天皇の逝去は――
 この国にとっては――
 最大級の弔事です。

 が――
 弔事が絡まっていなかったということだけでは――
 今回の改元で漂った祝賀ムードを説明することはできません。

 弔事が絡まなかったということは――
 祝賀ムードにブレーキがかからなかったということです。

 祝賀ムードのアクセルが――
 何か他にあったはずです。

 それは、何であったのか――

 ……

 ……

 僕は、
 (“アクセル”は1つではなかった)
 と思っています。

 (少なくとも2つはあった)
 と――

 ……

 ……

 1つは、

 ――純粋に元号が変わったこと

 です。

 もっといえば、

 ――和式の日付表記が30年ぶりに変わったこと

 です。

 これは――
 原理的には――
 19年前のミレニアム(millennium)と同じです。

 あのときは――
 西暦の千の位が書き換わることの珍しさを、宗教的な意義とは切り離し、皆で単純に喜びました。

 もう1つの“アクセル”は何か――

 ……

 ……

 それは、

 ――新天皇の即位

 です。

 “新天皇の即位”は――
 特定の人物が特定の地位に新たに就くことですから――
 少なくとも表層的かつ一般的には――
 慶事以外の何ものでもありません。

 が――
 このことを慶事として素直に受け入れるには――
 現行の国家制度を受け入れていることが必要です。

 受け入れていない人にとっては――
 “新天皇の即位”は、慶事どころか、批判の対象となる出来事です。

 そして――
 現行の国家制度を受け入れていない人たちというのは――
 厳然として存在しています。

 そういう人たちも――
 実は決して一様ではなく――

 皇室の存在意義それ自体を単純に否定している人たちがいれば――

 皇室を深く敬愛するが故に、

 ――天皇制は皇室の皆様の基本的人権を十分に保証しえていないという点で、問題である。

 と主張している人たちもいます。

 このように、「新天皇の即位」というアクセルは――
 一部の人たちにとっては、たしかに祝賀ムードの出どころでしたが――
 他の一部の人たちにとっては、観点は一様ではないながらも、むしろ祝賀ムードを打ち消すことでした。

 つまり――
 「新天皇の即位」というアクセルは、かなり偏りがあったわけです。

 ところが――

 今回の改元では――
 この偏りのある“アクセル”に、

 ――純粋に元号が変わったこと

 というアクセルが被さったために――
 幸か不幸か、

 ――偏りがある

 という実態が前景に出ることはありませんでした。

 ……

 ……

 今回の改元で漂った祝賀ムードの背景には複雑なメカニズムがある、と――
 僕が考えるのは――

 そうしたことによります。