マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

改元を祝うことへの懸念

 ――改元に合わせてのお祭り騒ぎは、好きではない――強いていえば、嫌いかもしれない。

 ということを――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 真っ先に思い浮かぶ懸念は――

 (令和が、どんな時代になるか、まだ誰にもわからないのに……)
 ということです。

 先が見通せないことを――
 なぜ、わざわざ祝うのか――

 ……

 ……

 が――

 それをいうと――

 例えば――
 新年の祝賀も同じですね。

 新しい年が、どんな年になるか、まだ誰にもわからないうちから――
 皆で、新しい年を祝います。

 しかも――
 毎年ほぼ必ず祝います。

 もちろん――
 喪中の場合は、祝うのを控えますが――

 そうでなければ、祝う――
 例えば、

 ――今年は嫌な年になりそうだから、祝うのを控えよう。

 とは決してならない――

 その先がよくわからないことを祝うというのは――
 改元に限った話ではないのです。

 では――
 他に、どんな懸念があるのか――

 ……

 ……

 次に思い浮かぶのは――

 (これまでの国史を顧みる限り、改元が祝われたことはないから――)
 という懸念です。

 昭和から平成への改元は――
 昭和天皇の逝去に伴うことでした。

 国を挙げて喪に服していました。

 大正から昭和への改元も――
 明治から大正への改元も――
 同様です。

 慶応から明治への改元は、やや異質ですが――
 ほぼ同様といえます。

 この改元明治天皇の即位に伴うことで――
 明治天皇の即位は、先代の孝明天皇の逝去が契機でした。

 では――
 慶応への改元は、どうであったか――

 慶応の前は、元治でした。

 元治から慶応への改元は――
 禁門の変による世相不安を改める目的で行われました。

 禁門の変は――
 当時の長州藩会津藩らとの武力衝突です。

 京都の御所(当時の天皇の居場所)の前で戦闘が繰り広げられたので、

 ――御所の門の前で起こった変事

 という意味から、「禁門の変」と呼ばれます。

 この手の戦災は、歴史の時間軸では、わりと頻繁に起こっているので――
 そんなに大きな出来事には感じられませんが――

 日常の時間軸では、滅多に起こらないことですので――
 少なくとも同時代の人々にとっては、かなり禍々しい事件に感じられたでしょう。

 現代の感覚でいえば、

 ――皇居前広場自爆テロが起こった。

 ようなものです。

 実は――
 この国の長い歴史の中では――
 このタイプの改元が目立ちます。

 戦災が起こったり、天災が起こったりして、世情が乱れると――
 時の朝廷は改元を行ってきたのです。

 こうした慣例に従えば、

 ――改元は、そもそも祝意の対象とはなりがたい。

 ということになります。

 (それなのに、無理に祝ってどうする?)
 というのが――

 たぶん――
 今の僕の懸念なのです。