――心は発言や行動からできている。
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
……
……
一方で――
――心は言葉からできている。
という考えもあります。
これは――
基本的には、
――心は発言や行動からできている。
と同じ考えです。
背景にあるのは、
――人の発言だけでなく、人の行動もまた、結局は言葉である。
という考えです。
さらにいえば、
――発言の中身だけでなく、発言に伴う口調や声色も含めて、言葉である。
ということです。
要するに、
――「言葉」の定義を拡張しよう。
という提案です。
このような、
――広義の「言葉」
を受け入れるならば――
たしかに、
――心は言葉からできている。
といえるのです。
が――
……
……
僕は――
この考えが好きではありません。
より絞っていえば、“広義の「言葉」”が好きではありません。
(ちょっと定義を拡張しすぎだろう)
と思います。
もちろん――
言葉とは何かを厳密に考えていけば――
この定義の仕方にも意義は見出せますが――
(少なくとも日常生活では、なじまない)
と感じます。
(ふつうに考えれば、口調は言葉ではないし、声色も言葉ではない)
ということです。
よって――
僕は、
――心は言葉からできている。
ではなく、
――心は発言や行動からできている。
と述べるようにしています。