マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

心は○○からできている

 ――人の発言だけでなく、人の行動もまた、結局は言葉である。

 という考えについて――
 さらにいえば、

 ――発言の中身だけでなく、発言に伴う口調や声色も含めて、言葉である。

 という考えについて――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 要するに、

 ――「言葉」の定義を拡張しよう。

 との提案である――
 ということも述べました。

 ……

 ……

 きのうも述べましたが――

 僕は――
 この“「言葉」の定義を拡張しよう”という考えが――
 いま一つ好きではありません。

 (発言はともかく、行動はもちろん、口調や声色は、ふつうに考えたら、言葉ではありえない)
 と思うからです。

 が――
 厳密に考えたら、

 ――発言

 も、

 ――行動

 も、

 ――口調や声色

 も――
 心の働きを何らかの形で反映していることは間違いありません。

 意識的にせよ無意識的にせよ――
 その人の心の働きが外面的に具体化されているという点では――
 発言も行動も口調や声色も、みな同じです。

 よって――
 これらを何か1つの言葉で表そうという発想は――
 たぶん間違っていないと思うのですよね。

 ただ――
 その1つの言葉として――
 よりによって、

 ――言葉

 という言葉を選ぶのがおかしいのではないか――
 というのが――
 僕の主張です。

 何か他の言葉がよい――

 ……

 ……

 ――心為

 というのは――
 どうでしょうか。

 ――行為

 という熟語の「行」を「心」に置き換えてみました。

 あるいは、

 ――心は脳の働きである。

 という現代神経科学・脳科学の仮説を前提とするならば、

 ――脳為

 で、よいのかもしれません。

 「行」を「心」ではなく、「脳」で置き換えてみました。

 ……

 ……

 きのうの『道草日記』では――

 広義の「言葉」を用いるならば、

 ――心は言葉からできている。

 といえると述べました。

 もし、「脳為」を用いるならば、

 ――心は脳為からできている。

 となります。