――心は、脳が感覚と“感覚の痕跡”とを選り分けることで、「現在」や「過去」という概念を作り出している。
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
一方――
12月23日以降の『道草日記』で、
――“現在の感覚”が“過去の感覚”と絶え間なく照らし合わされ続け、何らかの相関性が見出され続けることこそが、意識の働きである。
といった主旨のことを述べてきました。
ここでいう「過去の感覚」とは――
12月20日以降の『道草日記』で繰り返し述べてきた通り――
正確には、
――“過去の感覚”が脳に残した何らかの痕跡
です。
以上の話を整理します。
脳や心にとって――
一次的に重要なことは、
――過去から現在へ
といった“時の移ろい”ではありません。
――感覚から“感覚の痕跡”へ
といった“脳の仕かけ”です。
脳は、感覚を受け入れると――
その痕跡を自身の内部に留(とど)めます。
そして――
その脳に宿っている心は――
感覚に関わることを、
――現在
と捉え――
“感覚の痕跡”に関わることを、
――過去
と捉えます。
これは、
――脳の仕かけ
です。
そして――
この“脳の仕かけ”から、
――時の移ろい
が二次的に導き出されます。
以上を踏まえますと――
“意識の働き”の命題――
すなわち、
――“現在の感覚”が“過去の感覚”と絶え間なく照らし合わされ続け、何らかの相関性が見出され続けることこそが、意識の働きである。
との命題は――
以下のように書き換えられます。
――感覚が“感覚の痕跡”と絶え間なく照らし合わされ続け、何らかの相関性が見出され続けることこそが、意識の働きである。
(この命題をもって「意識の働き」の定義とするのがよいのではないか)
と――
僕は考えています。
要するに――
「意識の働き」の定義は、少なくとも「時間の経過」の定義の前に、済ませておくのがよい――
ということです。