いわゆる「意識」について――
12月7日以降の『道草日記』で述べてきました。
「意識」の明確な定義が存在しないこと――
――「意識」とは「心が眠っていない状態」である。
という何となくの定義なら存在すること――
また、
心 = 意識 + 無意識
の図式が成り立っているらしいこと――
いいかえれば、意識は“心の要素”であって、“心の全体”ではありえないこと――
意識の性質の少なくとも一部は、舞台の照明の機能に喩えられること――
その「舞台」で起こっていることは、基本的には、心による感覚の受け入れであること――
以上のことから――
“意識の働き”の命題――
すなわち、
――“現在の感覚”が“過去の感覚”と絶え間なく照らし合わされ続け、何らかの相関性が見出され続けることこそが、意識の働きである。
との命題に辿り着きました。
この命題は、「過去から現在へ」などの「時間の経過」の存在を前提としています。
もし、前提としなければ――
“意識の働き”の命題は――
以下のように書き換えられます。
――感覚が“感覚の痕跡”と絶え間なく照らし合わされ続け、何らかの相関性が見出され続けることこそが、意識の働きである。
この命題を基にすれば――
「意識」の定義は難しいにしても――
「意識の働き」の定義なら、辛うじて可能なのではないか――
そういうことです。
ところで――
この“意識の働き”の命題を「意識の働き」の定義とする場合に、
――意識
は、どのように言及されるのでしょうか。
いいかえれば、
――意識とは何か。
の問いは、どのように回答されるのでしょうか。
当然ながら、
――「意識」とは「“意識の働き”の主体」である。
という回答になります。
つまり、
――感覚が“感覚の痕跡”と絶え間なく照らし合わされ続け、何らかの相関性が見出され続ける際に、その相関性を見出している主体こそが、意識である。
ということです。
この場合の「相関性」とは、12月20日の『道草日記』で述べた通り、
――何らかの関連性
であって――
例えば、「同一性」や「類似性」、あるいは「差異性」や「対照性」を含みます。
そして――
この「相関性」は、あくまでも「感覚と“感覚の痕跡”との相関性」です。
ここでいう「感覚」とは、
――神経細胞によって伝達される信号
ですから――
「相関性」というのは、
――“神経細胞によって伝達される信号”と“神経細胞によって伝達される信号の痕跡”との相関性
ということになります。
そして、
――神経細胞によって伝達される信号の痕跡
も、おそらくは“神経細胞によって伝達される信号”に還元されるはずですから――
結局のところ、
――感覚と“感覚の痕跡”との相関性
とは、
――“神経細胞によって伝達される信号”の相関性
ということになります。