マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「自我」や「自己」への再言及

 ――意識の働き

 の定義は、少なくとも、

 ――時間の経過

 の定義の前に済ませておくのがよい――

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 このことに留意をするならば――

 ――自我

 や、

 ――自己

 の定義も、また、「時間の経過」の定義の前に済ませておくのがよいでしょう。

 

 とはいえ――

 「自我」や「自己」の定義は、「意識の働き」の定義よりも、さらに困難です。

 

 1月1日の『道草日記』で――

 僕は、ひとまず、

 ――自我

 とは、

 ――“過去の感覚”の集積によって脳や心に作り上げられる何か

 である――

 と述べました。

 

 さらに、

 ――自己

 については、

 ――自己は、“心の内部で生じる何らかの刺激”に起因する感覚の集積によって作り上げられている。

 とも述べました。

 

 すぐにおわかりのように――

 「自己」については、「時間の経過」の定義を踏まえずに言及できていますが――

 「自我」については、「時間の経過」の定義を踏まえて言及してしまっています。

 

 この点に留意をしつつ、「自我」や「自己」について、「時間の経過」の定義を踏まえずに、あらためて言及をするならば――

 以下のようになります。

 

 ――自我

 とは、

 ――“感覚の痕跡”の集積によって脳や心の中に作り上げられる何か

 であり、

 ――自己

 とは、

 ――“心の内部で生じる刺激”に起因する感覚の集積によって脳や心の中に作り上げられる何か

 である――

 

 いいかえると――

 以下のようになります。

 

 ――“心の内部で生じる刺激”に起因する感覚が、“感覚の痕跡”と照らし合わされ、何らかの相関性が見出されるときに、自我は自己を認識している。