マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

意識を備えたことでヒトは不利にはならなかった

 ――意識を備えたことでヒトは有利になった。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 では、

 ――意識を備えたことでヒトは不利にはならなかった。

 とは、いえるでしょうか。

 

 結論からいうと、

 ――現在のヒトの意識の働きをみる限りは、「不利にはならなかった」といえる。

 となります。

 

 現在のヒトの意識の働きを顧みるに――

 最も特徴的なことは、おそらく、

 ――意識の及ぶ範囲が意外に広くない。

 という点です。

 

 人は、何かに意識が向かうと、他の何かは簡単に無かったことにしてしまう――

 

 このことは、意識の働きの命題――

 すなわち、

 ――“現在の感覚”が“過去の感覚”と絶え間なく照らし合わされて何らかの相関性が見出され続けることこそが、意識の働きである。

 との命題に基づく限り、

 ――“過去の感覚”と照らし合わされる“現在の感覚”の数ないし量は意外と少ない。

 ということに相当します。

 

 もし、意識の働きが、

 ――“現在の感覚”を“過去の感覚”と片っ端から照らし合わせていく。

 ということであったりしたら――

 環境の変化の分析の効率が悪くなってしまっていて――

 おそらく、環境の変化に巧く対応できなかったでしょう。

 

 もう一つ看過できないことは――

 “現在の感覚”と照らし合わせている“過去の感覚”は、実は、感覚それ自体ではなく、“過去の感覚”が現在の脳に残している何らかの痕跡である――

 という点です。

 

 もし、意識の働きが、

 ――“過去の感覚”それ自体を“現在の感覚”と照らし合わせていく。

 ということであったりしたら――

 やはり、環境の変化の分析の効率が悪くなってしまっていて――

 同じように、環境の変化に巧く対応できなかったでしょう。

 

 つまり――

 現在のヒトの意識の働きが――

 例えば、

 ――“現在の感覚”を“過去の感覚”と片っ端から照らし合わせていく。

 とか、

 ――“過去の感覚”それ自体を“現在の感覚”と照らし合わせていく。

 とかいったことをしていない、という意味において、

 ――ヒトは、意識を備えたことで、生存上、著しく不利になることはなかった。

 といえるのです。