――ヒトが意識を備えたことで、ヒトにとって、生存上、何か有利なことが起こった、と――もしくは、著しく不利なことは何も起こらなかった、と――考えられる。
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
きのうは結論だけを述べました。
きょうは、その結論に至る過程を述べましょう。
もちろん――
6日前の『道草日記』で触れた“意識の働き”の命題――
すなわち、
――“現在の感覚”が“過去の感覚”と絶え間なく照らし合わされて何らかの相関性が見出され続けることこそが、意識の働きである。
との命題を前提とします。
10日前の『道草日記』で――
僕は、
――刺激は心の外部の世界から入ってくる、もしくは、心の内部で生じる。
と述べました。
その上で、
――刺激は感覚の原因であり、感覚は刺激の結果である。
とも述べました。
要するに、
――刺激
とは、
――環境の変化
であり、
――環境の変化の分析
であるのです。
“環境の変化”が心の外部で起こり、“環境の変化の分析”が心の内部で起こります。
生物種にとって――
“環境の変化”を的確に受容し、かつ、“環境の変化の分析”を的確に処理することができれば――
生存上、有利であることは、あきらかでしょう。
生物種にとって――
――生存
とは、
――環境の変化への適応
に他ならないからです。
よって、
――ヒトは、意識を備えたことで、生存上、あきらかに有利になった。
といえます。
では、
――ヒトは、意識を備えたことで、生存上、著しく不利になることはなかった。
については、どうでしょうか。
続きは、あす――