世 ・ 身 ・
・ 我 ・ 心
という環は、放っておけば、つねに時計回りになる――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
その時計回りの駆動力は、おそらくは「我」です。
きのうの『道草日記』で述べたように、「我」は、「心」の方ではなく、「世」の方を向きがちであるのです。
それは、
――我の本性
といってよいでしょう。
ヒトは――つまり、生物種としての人は――長い生物進化の過程で、“我”という機能を獲得したと考えられます。
このことは、“我”という機能のあるほうが、“我”という機能のないほうより、生存に有利であったことを意味しています。
つまり、
世 ・ 身 ・
・ 我 ・ 心
という環において、「我」は、つねに「世」の方を向いていることで、世の移り変わりを敏感に察知し、巧みに対応し、最終的には、「身」や「心」の存続に寄与し続けてきたに違いないのです。
ということは――
世 ・ 身 ・
・ 我 ・ 心
という環を反時計回りにしようと努めることは――
おそらくは、“我の本性”に反します。
きのうの『道草日記』で――
僕は――
放っておけば、
世 → 身 ↓
↑ 我 ← 心
であるのだから――
努めて、
世 ← 身 ↑
↓ 我 → 心
であるようにするのがよい――
と述べましたが――
その努力は、少なくとも生物進化の観点からは、ほどほどに止めておくのがよさそうです。