――感情は“岩”で、思考は“膠(にかわ)”である。
ということを――
ここ数日の『道草日記』で繰り返し述べています。
このようなことを述べるときに――
いつも僕が思うのは、
――人の心は何からできているのか。
ということです。
……
……
当たり前ですが――
人の心は――
目にみえませんよね。
体は目にみえます。
が――
心は目にみえない――
目にみえないから――
わかりづらい――
……
……
もちろん――
自分の心であれば、多少はわかります。
が――
他人の心となると、途端にわかりづらくなります。
少なくとも――
直接的に確認をするのは、とうてい不可能です。
不可能でないのは――
間接的に確認をすることです。
その人の発言や行動を通し、その人の心の状態を推し量る――
そうすることでしか――
人の心はわかりません。
よって――
僕は、こう思うのです。
(人の心は、結局は、人の発言や行動からできている)
と――
……
……
人の感情も思考も――
結局は、人の発言であり、人の行動です。
発言や行動の一端が、外面的かつ具体的に発露したもの――
それが感情であり、思考であり――
ひいては、
――心
でもあるのです。