感情は、
――岩
であり――
思考は、
――膠(にかわ)
である――
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
感情の“岩”と“岩”とを思考の“膠”でつないで、積み上げていくのが、人の精神生活である――
ということも――
述べました。
……
……
この、
――感情の“岩”と“岩”とを思考の“膠”でつないで、積み上げていく。
ということの意味が――
わかりづらかったかもしれません。
きょうは――
もう少し具体的に述べてみます。
……
……
例えば――
「不安」という感情と「情熱」という感情とを――
何らかの思考で繋ぐことを考えます。
この場合の思考としては、
――この課題に対する不安に耐え続けるには、その課題に情熱をもって取り組むのが妥当である。
といった内容が――
最も想定しやすいでしょう。
このような理屈ないし論理の思考を意識することで――
人は、自分の胸中にある2つの相異なる感情――不安と情熱と――を併存させることができます。
が――
もし、こうした思考が欠けている場合は、どうか――
最もありえそうなのは、
――この課題に対する不安とは別に、あの娯楽に対する情熱を抱く。
という場合です。
この場合――
不安と情熱とは乖離しています。
このような場合には――
人は、その課題の不安から逃れるために、その娯楽に耽ることになります。
課題の例として、
――受験
や、
――起業
を考え――
娯楽の例として、
――ネット・ゲーム
や、
――スポーツ観戦
を考えれば――
結論は自明のはずです。
少々の乖離であれば、問題は少ないのですが――
乖離の度が過ぎれば、
――精神生活が破綻する。
ということも十分にありえます。
……
……
以上では――
2つの感情をつなぐことに注目しましたが――
実際には――
人の精神は複雑です。
3つ以上の感情が併存しているものと考えられます。
それら感情の全てを思考でつなぎ、あたかも石垣のように積み上げていく――
それが、人の精神の実態です。