マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

親子関係の異質性

 人は――
 必ず複数の対人関係を背負っている――
 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 人は――
 まず生まれてすぐに、

 ――親子関係

 を背負います。

 次いで、

 ――友人関係

 や、

 ――師弟関係

 を背負い――

 やがて、

 ――恋人関係

 や、

 ――夫婦関係

 を背負い――

 やがて――
 今度は自分が親になっての、

 ――親子関係

 を背負ったりします。

 こうしてみると――
 人は、

 ――たしかに多くの対人関係を背負っている存在だ。

 ということが――
 よくわかります。

 ……

 ……

 以上のように対人関係を列挙してみて――
 あらためて感じることがあります。

 それは、

 ――親子関係の異質性

 です。

 様々な対人関係の中で、この“親子関係”だけが、選べません。

 ただ、あてがわれるだけ――

 ……

 ……

 子は親を選べない――

 親も子を選べない――

 ……

 ……

 友人は選べます。

 師匠も選べます。

 恋人も選べます。

 夫婦も選べます。

 が――

 子は、自分がどんな家庭に生まれるかを選べません。

 親も、自分がどんな胎児を授かるかは選べません。

 運命によって必然的にあてがわれてしまうもの――
 それが“親子関係”なのです。

 この、

 ――親子関係の異質性

 は――
 いいかえると、

 ――親子関係の超越性

 となるかもしれません。

 ――人知を遥かに超越している。

 という意味での「超越性」です。