マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

粋は、それぞれの人物に固有の現れ方をする

 ――「粋(いき)」は散逸構造に擬せられる。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 もちろん――

 「粋」と「散逸構造」とは、まったく次元の異なる概念であり、「両者は同じである」と主張するつもりは毛頭ありません。

 

 が――

 もし、「粋」に散逸構造のような様相をみてとるならば、

 ――「粋」の本質を見誤るようなことがなくなるのではないか。

 とは主張できると思っています。

 

 物理的なエネルギーの流れている場所に、自然界の応答として、自発的に現れる構造が、「散逸構造」です。

 

 それと同じように――

 体力や気力のエネルギーのようなものが流れている人物に、心身の応答として、自発的に現れる性質が、「粋」であろうと思います。

 

 散逸構造の現れ方には、通り一遍の法則がないと考えられています。

 物理的なエネルギーの流れる場所には必ず固有の条件があって、その条件に合致するかたちで、散逸構造は現れます。

 それゆえに、散逸構造は、それぞれの場所に固有の現れ方をすると考えられています。

 

 粋も同じです。

 粋の現れ方には、通り一遍の法則はありません。

 体力や気力のエネルギーのようなものが流れる人物には必ず固有の条件があって、その条件に合致するかたちで、粋は現れます。

 それゆえに、粋は、それぞれの人物に固有の現れ方をするのです。