マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「粋」は散逸構造に擬せられる

 ――「粋(いき)」とは、体力や気力の流れに生じる泡沫(うたかた)のようなものである。

 と、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 そうであるならば――

 では、

 ――野暮

 は、どう考えればよいでしょうか。

 

 難しくはありません。

 ――体力や気力の流れに生じる泡沫

 とは反対の概念を考えればよい――

 

 つまり、

 ――「野暮」とは、体力や気力の流れがないこと

 です。

 あるいは、

 ――流れはあっても、そこに泡沫のようなものが何も生じていないこと

 といってもよい――おそらく、“流れ”の勢いが足らないのです。

 

 察しの良い方は――

 もう、おわかりでしょう。

 

 僕は「粋」を散逸構造に擬したいと思っているのです。

 

 散逸構造については、2016年8月24日の『道草日記』などで触れています。

 20世紀ベルギーの理論化学者・物理学者であったイリヤ・プリゴジンによって提唱された概念です。

 簡単にいってしまうと、

 ――エネルギーが自然界を流れる際に、その流れに対する自然界の応答として自然と発生する何らかの構造

 が、散逸構造です。

 台風や渦潮などが好例です。

 

 「粋」を散逸構造に擬することで、

 ――「粋」と「野暮」との関係性

 が、より明瞭に見えてきます。

 

 散逸構造は、物質が秩序をもって偏っている状況を指します。

 こうした偏りのある状況を、物理学・化学では、一つの纏(まと)まりとみなし、

 ――非平衡

 と呼ばれます。

 

 これに対し――

 そのような偏りがない状況――物質が無秩序に均されている状況――は、

 ――平衡系

 と呼ばれます。

 

 つまり――

 「粋」と「野暮」との関係性は、

 ――非平衡系と平衡系との関係性

 に擬せられる、と――

 僕はいいたいのです。

 

 僕は、昨今の『道草日記』で、

 ――「粋」の対義語は「野暮」であるが、両者の対立は対称的ではない。

 ということを繰り返し述べてきました。

 ここでいう「対称的ではない」というのは、

 ――非平衡系と平衡系との関係性は決して対称的ではない。

 という意味での「対称的ではない」です。

 

 例えば――

 台風と凪(なぎ)の快晴とが対称的ではないように――

 また――

 渦潮と平らかな海原とが対称的ではないように――