身体の外部において――
状態を決める変数を x とし、時刻を t とし、その状態が実現をする確率を p (x, t) とすれば――
時刻 t における身体の外部のエントロピー(entropy) S (t) は、高校の数学で学ぶ自然対数 ln を用いて、
S (t) = ∫ p (x; t)(− ln p (x; t))dx
と表され――
その S (t) の変化を ΔS (t) とすれば――
身体が受け入れる“身体の外部の部分情報”の量 ΔI (t) は、
ΔI (t) = − ΔS (t)
より、
ΔI (t)
= ∫ p (x; t)(− ln p (x; t))dx
− ∫ p ( x; t + Δt )(− ln p ( x; t + Δt ))dx
と表せそうである。
が――
実際は――
そうではない。
なぜか。
S (t) = ∫ p (x; t)(− ln p (x; t))dx
に問題がある。
身体の外部に在る全知全能の者にとっては――
たしかに、
S (t) = ∫ p (x; t)(− ln p (x; t))dx
である。
が――
身体の持ち主は、全知全能ではない。
限られた知力、限られた能力で――
身体の外部における状態のエントロピーと、その状態が実現をする確率とを見積もっている。
例えば――
身体の外部における状態のエントロピーについていえば――
状態を決める変数 x を直に知ることはできず――
身体の感覚器が受け取る信号を通して察するしかない。
また――
身体の外部において、その状態が実現をする確率についていえば――
実際の確率を知ることはできず――
身体の持ち主が主観的に見積もりうる確率で代用をするしかない。
よって――
身体の外部における状態のエントロピー S (t) は――
身体の持ち主にとっては、
S (t) = ∫ p (x; t)(− ln p (x; t))dx
ではなく――
次のように表される。
S (t) = ∫ q (x; t)(− ln p (x, s; t))dx
ここで、
q (x; t)
は、身体の持ち主が主観的に見積もる確率――その状態が実現をする確率の代用とするもの――であり、
− ln p (x, s; t)
は、身体の持ち主が感覚器を通して察するエントロピー――身体の外部の状態のエントロピー――であり、
s
は、身体の感覚器が受け取る信号を決める変数である。
よって――
身体が受け入れる“身体の外部の部分情報”の量 ΔI (t) は――
身体の外部に在る全知全能の者にとっては、たしかに、
ΔI (t)
= ∫ p (x; t)(− ln p (x; t))dx
− ∫ p ( x; t + Δt )(− ln p ( x; t + Δt ))dx
であるが――
身体の持ち主にとっては、違う。
次にように表される。
ΔI (t)
= ∫ q (x; t)(− ln p (x, s; t))dx
− ∫ q ( x; t + Δt )(− ln p ( x, s; t + Δt ))dx
『随に――』