マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“地球上の環境”それ自体が1つの散逸構造である

 ――地球上とは異なる環境では、生命は決して誕生をしえないのではないか。

 という憶測を――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 つまり、

 ――生命の誕生や進化は、“地球上の環境”の創成や展開と不可分ではないか。

 ということです。

 

 ……

 

 ……

 

 ――生命は散逸構造の1つである。

 との考え方があります。

 

 ――散逸構造

 については、2016年8月24日の『道草日記』で述べました。

 

 簡単にいうと、

 ――散逸構造とは、エネルギーの流れが吹きぬくところに発生をする構造であり、エネルギーの流れに対して自然が示す応答である。

 となります。

 具体例としては、海峡の渦潮や洋上の台風などが挙げられます。

 

 どこに、どんな散逸構造が現れるかは――

 その場所の環境や事象に依存をすると考えられています。

 

 その場所で、どんな物質が、どんな運動ないし反応をしながら存在をしていて、かつ、それら物質が、どんな強さの流れのエネルギーによって吹きぬかれているかに依存をする――

 ということです。

 

 実は、

 ――“地球上の環境”それ自体が1つの散逸構造である。

 という考え方があります。

 ――太陽から放出をされている莫大なエネルギーの流れに対する宇宙の応答として、“地球上の環境”が創成をされ、その環境の展開の一部として生命が誕生をした。

 という考え方です。

 

 おそらく――

 地球の公転軌道上には、“地球上の環境”が創成をされるのにピッタリの強さの流れのエネルギーが吹きぬいていて――

 そこに、たまたま地球という惑星が存在をし、現在の“地球上の環境”を成すのに適切な物質を――あるいは、それら物質の材料となる物質を――豊富に蓄えていたので――

 現在の“地球上の環境”が存在をしている――

 ということです。

 

 そして、

 ――生命は、“地球上の環境”という巨大な散逸構造の内部に発生をした構造内構造の1つに過ぎない。

 ということでもあります。