マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

知性が地球環境に及ぼす影響

 ――生命は「地球環境」という散逸構造の一部に過ぎない。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 この文脈の下で、

 ――知的生命体

 あるいは、

 ――知性

 について、少し考えてみたいと思います。

 

 つまり、

 ――知的生命体

 は、少なくとも、

 ――知性

 と、

 ――生命

 というように、2つの要素に分けられることは――

 7月29日の『道草日記』で述べた通りですが――

 

 このことに注意をしたときに――

 

 ――生命

 が、

 ――「地球環境」という名の散逸構造

 の一部であるならば、

 ――知性

 は、

 ――「地球環境」という名の散逸構造

 にとって、いったい何なのか――

 ということについて――

 考えてみたいのです。

 

 いいかえるなら――

 

 ――地球上に知的生命体が生まれる前と後とを比べると、「地球環境」という名の散逸構造には、どんな違いが生じているのか。

 ということです。

 

 あるいは、

 ――知性は、「地球環境」という名の散逸構造に、どんな影響を及ぼしているのか。

 です。

 

 ……

 

 ……

 

 僕は、

 ――知性の発生は、「地球環境」という名の散逸構造におけるエネルギーの散逸の程度を、甚だしくした。

 と考えています。

 

 つまり、

 ――地球上に知的生命体が生まれたことで、「地球環境」という名の散逸構造は、より甚だしく、エネルギーを周囲の宇宙空間へ散り逸らすようになった。

 ということです。

 

 地球環境へ流れ込むエネルギーの量や勢いや纏(まとま)りは、知的生命体の誕生の前後では、とくに変わらないはずです。

 知的生命体が地球上に生まれたからといって、太陽から地球に向かって放出をされるエネルギーの量や勢いや纏りが変わるとは、ちょっと思えません。

 地球から周囲の宇宙空間に向かって放出をされるエネルギーの量も、おそらくは変わらないでしょう。

 

 変わるとしたら――

 地球から周囲の宇宙空間に向けて放出をされるエネルギーの勢いや纏りではないでしょうか。

 

 太陽から地球に向かって放出をされるエネルギーは、知的生命体が地球上に生まれることによって、より甚だしく撒き散らされ、散り逸らされる――

 そういうことではないかと思うのです。