マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「粋」と「野暮」との対立構造からみえること

 ――「粋(いき)」には“江戸の深川”から飛び立ちうる普遍性があり、それを掴むには、「粋」と「野暮」との対立構造を探る必要がある。

 といったことを――きのうの『道草日記』で述べました。

 

 おとといの『道草日記』で述べたように、

 ――「粋」の断定性

 に対し、

 ――「野暮」の婉曲性

 があります。

 

 また――

 11月7日の『道草日記』で述べたように――

 「粋」と「野暮」とは平面的な構造をとっていて、座標の原点に「粋」の極みがあり、その原点の無限遠方に「野暮」の極みがある、ともみなせます――

 つまり、

 ――「粋」の限局性

 に対し、

 ――「野暮」の無辺性

 です。

 

 「粋」と「野暮」との対立構造は、あきらかに非対称的です。

 これは、

 ――「粋」とは「色気の嗜(たしな)み」である。

 とみれば、当然の帰結といえます――「色気」にも「嗜み」にも、さながら荒れ地に立つ白百合のような際どさがあります。

 その際どさは、一方では“断定性”を、もう一方では“限局性”を具現しえます。

 際どいがゆえに鮮烈であり、際どいがゆえに脆弱であるのです。

 

 一方、「野暮」には、そのような際どさがありません。

 「野暮」の“婉曲性”も“無辺性”も、その際どさのなさ――つまりは、ありふれたさま――が具現された結果といえます。

 

 以上をまとめると――

 「粋」とは、

 ――良い意味での「危うさ」

 であり、

 「野暮」とは、

 ――悪い意味での「安らぎ」

 であるといえそうです。