――粋(いき)
や、
――野暮
は、日本の江戸期に成立した概念であり、日本語圏に固有の美意識とみなされている、ということを――
10月31日の『道草日記』で述べました。
「粋」や「野暮」を語る際に――
これらの出自にこだわる向きがあります。
すなわち、
――「粋」とは、本来、江戸の深川で人気を誇った芸者集団を評するための言葉であった。
といったような主張です。
例えば、
――鼠色は、茶色や藍色と並んで、「粋」を表象しうる色彩である。
といった主張がなされます。
この主張は、たぶん風俗史的には正しいのですが――
「粋」の捉え方としては間違っているでしょう。
少なくとも、この主張では「粋」の普遍性を説明できません――
むしろ、「粋」の普遍性を矮小化してしまう――
当時の日本は、時の政権――徳川幕府――によって派手な色彩の装飾が禁じられていました。
芸者たちも例外ではありません。
そこで、深川の芸者たちは鼠色を用いた――その芸者たちは“粋”に振る舞った――僕のいい方をすれば「色気を嗜(たしな)んでいた」――よって、鼠色が「粋」を表象しうるとみなされた、というにすぎません――
「鼠色」に「粋」の普遍性は見出せません。
「粋」にも「野暮」にも普遍性があると、僕は考えています。
それら概念の成立過程が日本の江戸期の町人文化に深く根差していることは認めるにせよ、そこから飛び立ちうるだけの普遍性が――例えば、江戸の深川から現代の国際社会の隅々にまで幅広く受け入れられうるだけの普遍性が――あると考えています。
その普遍性を発見し、記述するには、いつまでも“江戸の深川”にとどまっているわけにはいかないのです。
そのためには、まず、「粋」と、その対立概念である「野暮」とが成している構造を正しく把握することが必要でしょう。
11月7日の『道草日記』で述べて以来、僕が「粋」と「野暮」との対立構造に繰り返し言及しているのは、そうしたことによります。