マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「粋」は実は4つに分けるのがよい

 「粋(いき)」は、

 ――男性の「粋」

 と、

 ――女性の「粋」

 との2つに分けられる――と、きのうの『道草日記』で述べましたが――

 本当は、2つではなく、4つにわけるのがよいと思っています。

 

 すなわち、

 ――男性が男性に感じとる「粋」

 と、

 ――男性が女性に感じとる「粋」

 と、

 ――女性が男性に感じとる「粋」

 と、

 ――女性が女性に感じとる「粋」

 との4つです。

 

 「粋」は「色気の嗜(たしな)み」である、ということは――

 この『道草日記』で連日、述べてきました。

 

 一方、「色気」とは、性差に根ざした知覚・感覚のことです。

 

 「色気」が、性差を無視はできず、かつ、知覚・感覚に深く根差している以上――

 「粋」もまた、性差を無視はできず、かつ、知覚・感覚の主体・客体の区別(誰が誰の知覚・感覚をしているのか)もまた、無視はできません。

 

 つまり――

 男性が知覚・感覚の主体か客体か、女性が知覚・感覚の主体か客体かで、4通りの場合分けが必要になってくるのです。

 

 が――

 きのうの『道草日記』で述べたように、「粋」は「男の関心事」というのなら――

 4つ全ての場合を考える必要はありません――2つでよい――

 ――男性が男性に感じとる「粋」

 と、

 ――男性が女性に感じとる「粋」

 との2つです。

 

 もちろん、女性も、男性に粋を感じうるし、女性にも粋を感じうるでしょう。

 が、多くの場合は、男性の主観を介在して――つまり、間主観的に――感じているに違いありません。

 少なくとも、日本の江戸期・深川の芸者などは、そのように「粋」をとらえていたはずです。