――よくわからない薬をもっとよくわからない体に入れて病を治そうっていうんだから、医者なんて誰でもできる。
という笑い話について――
きのうの『道草日記』で述べました。
この話が、
――笑い話
として成り立っている理由について――
きのうは一面的にしか触れませんでした。
その理由の一端が、
――「薬や体のことは医者にとってもわかりにくい」という事実
にあることは――
きのうの『道草日記』で述べた通りですが――
その事実とは別に、
――「医者の仕事は誰もができるようにはなっていない」という事実
も挙げられます。
医者の仕事は、どの国においても、通常、医学・医療に関する相応の知識や理解を備えていると認められた者にしか許されていません。
もちろん――
この国においても、そうです。
高等学校の卒業までに習う知識や理解をそれなりに備えていると認められた者しか、大学の医学部や医科大学への入学は許されず――
かつ――
そこで学んだことがそれなりに身についていると認められた者にしか、医者の国家資格は与えられないようになっています。
そういう、
――いわずもがな
の現実があるので――
冒頭の笑い話は、笑い話として成り立っています。
――誰でもできるような仕事が、実際には、誰でもできるようにはなっていない。
という矛盾が――
この笑い話の要点です。
笑い話ですから――
これ以上、追及をするのは野暮というものですが――
それでも――
あえて、その野暮をやりますと――
実は、
――よくわからない薬をもっとよくわからない体に入れて――
の物いいは――
さほどの矛盾ではないのです。
――よくわからない。
といえるためには、ある程度のことをわかっていなければならないからです。
例えば――
細菌感染で抗生物質が処方され、患者の体に投与される理屈をある程度はわかっていなければ――
その後に起こる様々な不思議――例えば、同じような容態のある患者には劇的に効いて、別の患者には全く効かないという不思議――が起こったときに、
――よくわからない。
と断を下すことはできません。
――私にはよくわからないが、ほかの人にはわかるのかもしれない……。
といった歯切れの悪い「よくわからない」しか、口にできないのです。
つまり、
――医者の仕事は、たしかに、よくわからない薬をもっとよくわからない体に入れることであるが、その際の「よくわからない」と「よくわかる」との見極めは誰でもできるわけではない。
ということになります。