――攻撃
か、
――逃亡
かの判断に基盤を与えるのが、「勇」や「怯(きょう)」の感情である――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
――判断の基盤を与える。
と記しましたが――
実際には、
――判断を実質的に定める。
と記してよいでしょう。
こと「勇」や「怯(きょう)」に関しては――
これらの感情が判断に及ぼす影響は絶大です。
きのうの『道草日記』で、
――勇む
ならば、
――攻撃
であり、
――怯む
ならば、
――逃亡
である――
と述べましたが――
これらの感情と判断との繋がりは、きわめて直接的であり――
――勇む
であるのに、
――逃亡
とか、
――怯む
であるのに、
――攻撃
とかいうことは――
まったくありえないわけではないでしょうが――
少なくとも一般論としては、考えなくてよいくらいに稀有でしょう。
このような、
――判断に与える影響の直接性
の高低が、
――感情の元素性
の程度を決めている、と――
僕は考えています。
――感情の元素性
とは、
――どれくらい“感情の素”とみなしやすいかの指標
くらいの意味です。
つまり――
判断の内容を直接的に決めうる感情であり、かつ、合理的な思考などの影響を受けにくい感情は、それだけ元素性の高い感情とみなしやすく――つまり、“感情の素”とみなしやすく――
逆に――
判断の内容を直接的には決めえない感情であり、かつ、合理的な思考などの影響を受けやすい感情は、それだけ元素性の低い感情とみなしやすい――つまり、“感情の素”とはみなしにくい――
ということです。
9月11日の『道草日記』で――
僕は、
――情動軸
の具体例として、
――“怯・勇”軸
を真っ先に挙げました。
その理由の1つが――
「怯」や「勇」の元素性です。
これらの感情と同じくらいに元素性の高い感情は、
(ちょっと他に見当たらないのではないか)
と、僕は思っています。