マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“怯・勇”軸以外の情動軸を考えてみる

 ――“怯(きょう)・勇”軸は情動軸である。

 ということを――

 9月11日の『道草日記』で述べました。

 

 以来ずっと――

 このことを前提にしてきたわけですが――

 

 本当に、情動軸と呼びうるものは、

 ――“怯・勇”軸

 だけなのでしょうか。

 

 ――“怯・勇”軸

 と並びうる他の情動軸は、ありえないのでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 ――“嫌(けん)・好(こう)”軸

 というものを考えてみました。

 

 ――“嫌い・好き”の軸

 です。

 

 例えば、

 

  ←無視―怨恨―拒否―中立―魅了―耽溺―嗜癖

  ←忌避―憎悪―厭悪―中正―愛着―執着―依存→

 

 のように記せるでしょう。

 

 この「好」や「嫌」という感情は――

 きのうの『道草日記』で述べた「勇」や「怯」という感情のように、

 ――元素性が高い

 とはいえないでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 きのうの『道草日記』で――

 僕は、

 ――判断に与える影響の直接性

 の高低が、

 ――感情の元素性

 の程度を決めている、と――

 述べました。

 

 つまり――

 

 「好」や「嫌」の感情は――

 その後の判断を直接的に決めてしまうほどに絶大な影響を及ぼす、といえるでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 (必ずしも、そうとはいえない)

 と、僕は考えています。

 

 理由は――

 「好」や「嫌」は、「勇」や「怯」と違って、

 ――個体の生存に直結しうる感情

 ではないからです。

 

 人は――

 生存が脅かされたら――

 嫌いな物を食べてでも命を繋ぎますし――

 好きな所を離れてでも難を逃れます。

 

 「勇」や「怯」の場合は、

 ――勇む

 ならば、

 ――攻撃

 であり、

 ――怯む

 ならば、

 ――逃亡

 である――

 という繋がりが、はっきりしていました。

 

 「好」や「嫌」の場合も――

 ふつうは、

 ――好む

 ならば、

 ――獲得

 であり、

 ――嫌う

 ならば、

 ――破棄

 であるのですが――

 

 場合によっては、

 ――好む

 であるのに、

 ――破棄

 とか、

 ――嫌う

 であるのに、

 ――獲得

 とかいうことも――

 十分にありえます。

 

 よって――

 「好」や「嫌」の感情は、

 ――判断に与える影響の直接性

 が――

 それほど高くはないと、みなせます。

 

 つまり――

 「好」や「嫌」の感情は、「勇」や「怯」の感情ほどに、“感情の素”とはいいがたい――

 

 よって、

 ――“嫌・好”軸

 というものを考えてみることはできるけれど――

 この軸を、“怯・勇”軸と並びうる情動軸の1つとみなすことは、

 (妥当ではない)

 そう僕は考えています。