日常の会話での“悪い問い”には、限(きり)がない。
――相手の立場になっていない問い
あるいは、
――文脈の変化に応じていない問い
は、全て「悪い問い」といってよい。
これら、
――悪い問い
の中に、
――愚かな問い
がある。
――愚問
と、いい換えてもよい。
――愚かな問い
とは何か。
……
……
一般に、
――答えが判り切っている問い
のことである。
――新しさ
と、
――答え甲斐
との2本の評価軸でいえば――
あまりにも、
――答え甲斐
がないために、
――相手の立場になっていない問い
と見做される問いが、
――愚かな問い
である。
――新しさ
の有無は関係がない。
たとえ、
――文脈の変化に応じた問い
であっても、
――愚かな問い
と見做されることはある。
つまり、
――愚かな問い
とは、
――悪い問い
の特殊な型である。
端的な例を挙げれば――
――あすは吹雪になるそうだ。けさの天気予報でいっていた。
と零(こぼ)す相手に、
――あすは晴れるだろうか。
と問うことである。
――愚かな問い
は――
大抵は不注意による非意図的な問いである。
それを意図的に問えば――
嫌がらせと大差はない。
時には――
問うた者の無知や無理解によることもある。
例えば――
教育の現場では、
――愚かな問い
は稀ではない。
むしろ――
普通だ。
児童や生徒、学生の“愚問”を数多く引き出せる教師は――
寛容というだけでなく――
有能といってよい。
『随に――』