マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ファンタシー、政治

 ファンタシー小説を書くときに――
 僕は、しばしば中心テーマの一つに政治を据えます。
 高校生の頃から、そうでした。

 理由は、歴史が好きだからでしょう。

 ファンタシーとは――
 それが、伝統的な正統ファンタシーであれ、僕のいう硬派ファンタシーであれ――
「架空の歴史」がキーワードとなります。

 決して、「魔法」や「ドラゴン」ではないのですね。

 歴史は様々な要素を含みます。

 社会の盛衰――
 政治の変革――
 個人の業績――
 文化の変遷――

 どの要素をとっても、僕は夢中になれます。

 なかでも夢中になれるのは、政治の変革です。

 もっといえば、架空の「政治の変革」です。
 ファンタシー小説に書くくらいですからね。

 政治の変革には、人間の性質の生の部分が絡みやすいと考えています。
 架空だと、さらに絡みやすくなる。

 現実の「政治の変革」には様々な制約がつきまといます。
 呆れるほどに複雑な制約です。
 物語に取り込むには、何かと不自由です。

 もちろん、人間の性質の生の部分が絡むのは、政治の変革だけではありません。
 個人の業績も絡みえます。

 が、その場合、物語は個人の属性に引きずられます。
 ファンタシーを、個人の業績に立脚して描くと、いわゆる英雄物語になってしまい、人間の性質の生の部分が介在しにくくなるのです。
 単純な勧善懲悪の物語に、繊細な道徳思想を期待できないのと同じ原理です。

 そんな物語でも、英雄を匹夫たちの集団に放り込んでやるだけで、がぜん面白くなります。
 英雄が等身大に縮小され、その周りに政治が発生するのです。

 僕のいう政治とは、そういう原始的なレベルの人間関係を含みます。

 考えてみれば、恋愛も友情も政治ですよね。
 少なくとも、政治の様相は呈します。

 新聞やTVでみる権力闘争だけが政治ではないのです。