マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

実年齢を考慮しない

 人間、どうしようもなく腹が立ったときは、人生の孤独を噛み締めるに限ります。

 人生の孤独とは、

 ――人は皆、一人で生まれ、一人で死んでいく。

 という現実のことです。

 無償の愛を注いでくれた親がいようと――
 誰かを愛し、結婚をし、無償の愛を注ぐ子ができようと――
 結局、人は孤独に生きています。
 孤独の囲みの中で、絶望に喘いでいます。

 喘いでいないようにみえる人も、そうみえるだけで、実際は喘いでいる。
 有限な生命体としての境遇が、きちんと自覚されていないだけなのだと思います。

 その自覚の強さが、人としての成熟度に関わってくるのではないでしょうか。

     *

 それに関連する話かどうかは、わかりませんが――

 皆さんは、年齢不相応に未熟な人に出会い、不快な思いをしたときは、どうされていますか?

 先日、初めて知ったのですが、

 ――その人の実年齢を考慮しなければいい。

 という考え方があるそうですよ。

 ――その人の精神年齢で考慮すればいい。

 ということです。

 精神年齢が15歳なら、15歳のごとく接してあげればいい。
 20歳なら20歳のごとく――

 ――そうすれば、別に腹は立たないでしょう?

 というお話です。

(なるほど――)
 と思いました。

 その人の社会的地位は愚か、実年齢すら考慮しないというのですから、なかなか思いきった考え方です。

 悪くない考え方です。