宗教絡みの血なまぐさい暴動が、世界各地で起きているようですね。
発端は、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画だそうです。デンマークの新聞が、昨年の9月号に掲載したものだといいます。
この暴動に対し、
――無理もない。
との声があるようです。
イスラム教では、偶像崇拝が禁じられています。
ムハンマドの画は、それだけでもイスラム教徒の心情を逆撫でするらしいのです。
加えて――
その画でムハンマドが身に付けていたターバンが問題でした。爆弾に模されていたそうです。
――だから、イスラム教徒の怒りは当然である。
暴動に多少なりとも同情的な人々は、そのような主張を展開します。
が、本当に、そうでしょうか?
私は疑問です。
宗教絡みで暴動を起こす人の思考が、私には理解できません。
ムハンマドの風刺画に抗議し、暴動を起こすような人たちは、宗教の価値を、きちんと受け止めているのでしょうか?
宗教を、心の底から求めているのでしょうか?
私は宗教を警戒しています。
とくに一神教に強い不信感を抱いています。
理由は、子供への強引な勧誘を見聞きするからです。
子供に一律に宗教を強いる手法には問題があると思っています。
人生の虚無に気付きもしない幼子に、宗教を強いる意味があるでしょうか?
それは押し付けです。人生の虚無に気付いた大人たちが、自分の心の安寧を強固にするために、子供たちを道連れにしているだけのように思います。
宗教は、人生の虚無に気付いたときにのみ、効力を発揮します。
人生の虚無に気付かない人、あるいは、その虚無が気にならない人にとって、宗教は意味を成しません。
風刺画で暴動を起こすような人たちが、人生の虚無に気付いているとは、ちょっと思えません。
彼らは、幼い時分に、ただ宗教を押し付けられただけではなかったでしょうか。
敬虔な信徒であることを強要される内に、知らず知らず、負のエネルギーを溜め込んでしまった――そんな気がします。
それとも――
人生の虚無を打ち消すために、彼らは暴動を起こしているのでしょうか?
人を殺し、傷付けることで、虚無を回避しよう、と――
もし、そうなら――
問題なのは、彼らを導く宗教家たちだといえます。
宗教の不条理な一面です。