マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

運動

 ――運動は1日の時間を短くするが、一生の時間を長くする。

 という言い方があるそうです。

(巧いことをいうな)
 と感じます。

 たしかに、その通りですね。
 日々の運動が健康をもたらすことは、現代医療の総意といっていいでしょう。

 ところで――
 僕は運動が大嫌いです。

 幼い頃からそうでした。

 ――あんたは手のかからない子だった。

 と、母はいいます。

 幼児というものは、普通、目が離せないくらいに動き回るものです。
 が、僕は部屋の隅でジッとしている幼児でした。

 筋金入りの運動嫌いだったのでしょう。

 そんな僕だって、短命で終わりたくはないのですよね。
 できるだけ長生きをしたい。

 矛盾です。
 割と深刻な矛盾だと思っています。

 この矛盾をなくすには、どうしたらいいか。

 嫌いな運動を好きになるしかありません。

 が、
(無理だろうな)
 と思っています。

 運動を好きになる自信がありません。

 食わず嫌いではないと思います。
 中学・高校と、曲がりなりにも運動部に所属していましたから――

 でも、嫌いなのです。
 どうしても好きになれないのです。

 なぜでしょう?

 時々、こんなことを考えます。
 僕の体には、みえないところに病気が潜んでいて、それが二六時中、悪さをしているので、僕の体は運動を受けつけないのかもしれない、と――

 妄想です。
 多分、そんなことはない。

 が、
(完全にないとはいいきれない)
 とも思っています。

 実際――
 僕は全身持久力が人並外れて劣っています。
「人並外れて」というのは「正規分布を逸脱していると思わせるくらい」という意味です。

 以前は単純に、
(僕はダメな奴なんだ)
 と思っていました。

 が、医学や統計学を学んだ今となっては、
(いやいや、ちょっと待てよ?)
 と思うのです。

(いくらなんでも劣りすぎている)
 と――

 そのうちに、医学書を開いては物思いに耽るようになりました。
 成人後に発覚するような軽度な先天疾患の項目を眺めては、
(オレって、もしかしたら、こういう病気があるのかも)
 などと首を傾げているのです。

 かなり後ろ向きの物思いですが、
(まあ、いちいち目くじらたてることもないか)
 と、今では思っています。