きのうの『道草日記』で、
――知的好奇心とは、衣食住や生老病死とは関わらない。
ということを述べましたが――
なぜ、僕が、そのような結論に至ったのかいえば――
おそらく、20代の僕が医学や医療を学んでいたからです。
20代の僕は、
(医学や医療の分野で知的好奇心は成り立ちうるのか?)
という疑問にこだわっていました。
こんな疑問を思いつくくらいですから――
当時の僕は、
――医学や医療の分野では知的好奇心は成り立たない。
と、なんとなく思っていました。
今は「なんとなく」ではなく、はっきりと思っています――「成り立たない」と――
ちょっと注釈が必要です。
ここでいう「医学」とは――
病に苦しむ人たちに対し、直接的に何ができるかを考える学問体系のことを指し、医学の世界においては、
――臨床医学
と呼びならわされているものです。
これに対し「基礎医学」という医学もあります。
これは、病に苦しむ人たちに直接的には関わらず、人の体の仕組みについて研究をする学問です。
近年では「医科学」といったりもします。
この基礎医学(医科学)では、知的好奇心は成り立ちます。
むしろ、知的好奇心は不可欠です。
が――
臨床医学では、成り立たない――
より正確には、
――成り立たせるべきではない。
と思います。
なぜか――
臨床医学が生老病死に直結しているからです。
ここに知的好奇心を持ち込むということは――
誰か特定の個人(ないし、それら個人から成る集団)の生老病死を、自分の知的好奇心の対象にするということです。
これは、倫理観や道徳観念をある程度は麻痺させなければ、絶対に無理でしょう。
臨床医学の実践が医療です。
医療が生老病死に直結しているのは、もっと明らかですね。
そこに知的好奇心を持ち込む余地は皆無であるといってよいでしょう。