マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

知的好奇心が心に無邪気に作用するとき

 10代の頃に考えた小説のストーリーを見返してみて――
 慄然とすることがあるのです。

(よくこんな出来事を考えたな)
 と――

 その「出来事」というのは――
 当時、そういうことが起こると、何がどうなるか、頭ではわかっていたけれでも、肌では感じとっていなかった――
 というようなことです。

 10代の僕は、小説の中で、よく人々の争いを描いていました。

(こんなふうに人々が争ったら、いったい、どうなるだろう?)
 と、あれこれ想像を膨らませながら――

 おそらく、そこには主に知的好奇心が作用していたでしょう。

 知的好奇心というのは――
 それが心に無邪気に作用したときには、実に恐ろしいことを考えさせます。

(よくこんな出来事を考えたな)
 というのは――
 知的好奇心が突っ走っている様子をみて感じとることです。

 そういう出来事を小説に描くと、それを読んだ人が、どのように感じるのか――といった関心が芽生えることは――
 知的好奇心とは全く別次元の作用であり――

 おそらく、その作用は――
 知的好奇心が心に無邪気に作用するのを防いでいるのでしょう。

 人の知的好奇心は、たくましいに越したことはありません。

 が――
 たくましければたくましいほどに――
 野放しにするのは考えものですね。