人間の一生は――
二十歳前後の数年間で何を一生懸命にやっていたかによって――
大きく左右されるように思います。
その頃に真剣にやっていたことは――
たぶん、三十代や四十代になっても――
真剣にやっていると思うのです。
逆に――
それを真剣にやっていない人――あるいは、真剣にやることを許されていない人――は――
三十代や四十代の暮らしが不本意なものなのではないでしょうか。
僕個人の話をします。
僕が二十歳前後の数年間で一生懸命にやっていたことというのは――
文筆および教育でした。
当時の僕は、医学を志す受験生および医学生でした。
「受験生」は二十歳になるまで――「医学生」は二十歳になってから――です。
いずれも、勉学が本分であるはずでしたが――
それを一生懸命にやっていたとは、ちょっといいにくいところがあります。
もちろん、やるにはやっていましたが――
義務感でやっているだけでした。
にもかかわらず――
当時、僕は学者になるつもりでいました。
自然科学者ですね。
本当に、ふつうに、そう思っていました。
何の疑念も抱くことなく――
学者になるはずなのに、精を出しているのは、文筆であり教育である――
その矛盾を、矛盾としてとらえることが、当時の僕にはできませんでした。
「矛盾」ではなく「怠惰」とみなしていたのです。
「怠惰」というのは、イヤな言葉ですね(笑
当時の僕にも、イヤな言葉でした。
だから――
僕は「怠けている自分」の実態を直視できませんでした。
「怠けている自分」から目を背けたいがために――
現状の矛盾からも目を背け続け――
ついに「行き詰まっている自分」にも気付き損ねていました。
あれは、怠惰ではなかったわけです。
単なる矛盾です。
臆することなく、直視すればよかった――
後ろめたいことなど、本当は何もなかったのに――
もっとも――
僕の気性からすれば――
もし、あの頃に、このことが直視できていたのなら――
僕は、それまでの生活をあっさり捨てていたでしょうね。
医学を志す受験生を、あるいは医学生を、さっさとやめていたでしょう。
そうしていれば――
もちろん、僕の今の生活もありません。
こうして『道草日記』を書いていたかどうかも、ちょっとわかりません。