僕の書く文章は、しばしば、
――わかりにくい。
といわれます。
同じくらいの頻度で、
――わかりやすい。
ともいわれますので、気にはしていません。
わかりやすく書こうと思えば、いくらでも書ける――そういう自負があります。
ダテに塾講師を続けているわけではありません。
例えば、数学が苦手な生徒さんに、どんな解説を書けばわかってもらえるか、散々、悩んだ挙げ句の自負です。
わかりやすく書かなければ意味がないときには、いくらでも、わかりやすく書く気になります。
が、そうは書きたくないときも、あるのです。
わかりやすく書くことで何かが失われる――その何かは説明できない――そういうときがあるのです。
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ウォン・カーウァイ監督の映画『2046』(主演トニー・レオン、2004年)をみました。
レンタルDVDです。
さる方に勧められて、みることにしました。
――『2046』を繰り返しみたけれど、意味がわからない。あなたにもみてほしい。
とのことでした。
結論――
わかりません。
物語の意味は、僕にも、よくわかりませんでした。
が、監督の動機はわかった気がします。
この作品は、多分、わかってほしくて撮ったものではないのです。
――私は今、こんな問題を抱えている。解決策がわからない。是非、あなたも一緒に考えてほしい。
そう観客に呼び掛けているのだと思います。
その呼び掛けのために、美しい俳優を多用し、美しい音楽を流し込み、美しい映像に仕上げているのです。
そういう映画があってもいいでしょう。
映画は、塾の授業ではありません。
監督と一緒になって頭を悩ますことも、ときには良質の娯楽になりうると、僕は思います。