マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

若いという概念を

 若いという概念を、いかにとらえるか――わりと難しい問題だと思っています。
 例えば、お年寄りにむかって、

 ――いつまでも、お若くいらっしゃる。

 といえば褒め言葉です。
 が、本当に若い人に向かって、

 ――若いな。

 といえば皮肉となります。

 ――まだ世間を知らないから、そんなことがいえるんだ。

 などという意味です。

「若い」に限らず、たいていの言葉には、良い意味と悪い意味とが込められます。
 にも関わらず――
 人は、よく平気で、

 ――若くありたい。

 といいます。

 ――外見が老けるのはしょうがないが、せめて心の内面だけは、いつまでも若くありたい。

 という。
「若い」は、ときに無条件に肯定されるのです。

 このとき、「若い」には否定的な意味合いが全く含まれません。
 少なくとも、若い人に向かって、

 ――若いな。

 というときの侮蔑はない。

 そこに、ずっと違和感を覚えていました。
 つまり、

 ――若くありたい。

 というときの「若い」は、もっと何か別の言葉に置き換えられるべきではないか、と思ったのです。
 が、ピッタリの言葉が見当たらずに難渋しておりました。

 最近、その候補がみつかりました。

 ――変化に対応できる。

 ではないかと思うのです。

 ちょっと説明的ですね。
 その辺は目をつぶっていただいて――

 つまり、

 ――いつまでも若くありたい。

 というから、わかりづらくなる。

 ――いつまでも変化に対応できるようでありたい。

 といえばよいのです。

 世界は常に変化しています。
 生きるとは、いつまでも変化に対応し続けることだといってもよい――

 であるならば、

 ――若くありたい。

 とは、単に、

 ――生きることに真摯でありたい。

 ということではないか――そう思うのです。

 これなら、無条件で肯定されてもよいことでしょう。
 常に真摯に生きたいと願うのは、人の性だと思うのです。

 もちろん、「真摯に」は、例えば「禁欲的に」とか「向上心をもって」と常に同義とは限りません。
「無理をして」と同義でもありません。

「ただ精一杯に」くらいの意味です。
 念のため――