マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

恋した女性を愛せる喜び、愛した女性に恋する驚き

 愛と恋との違いを、五木寛之さんが論じておられます(『愛について――人間に関する12章』角川文庫、2004年)

 簡単にまとめてしまうと、

 ――愛は知性的で理性的、恋は盲目的で感情的――

 ということです。
 愛は、人の意志でどうにかなるものですが、恋は、そうはいかない――ということです。

 一方、五木さんは、

 ――愛は永遠に続きうるが、恋は続かない。

 ともいっておられます。
 愛は確固たるもので、恋は流動的――ということですね。

     *

 僕自身のことを告白すれば――

 愛は、まあまあ得意ですが――
 恋は苦手です。

 ついでにいえば――恋は、あまり好きではない。

 恋した女性を愛せる喜びというものがあると思います。
 大恋愛の末の結婚などが典型でしょう。

 が、僕に、その経験はありません。
 恋した女性に受け入れてもらった経験がない――正真正銘のゼロです。

 人並みに恋の経験はあるつもりですが――
 おそらく、失敗例から何も学んでいないのでしょうね。

 いやあ、お恥ずかしい……(笑

 恋した女性を愛せる喜びとは、どういうものか――
 一度、味わってみたいと思っています。

 が、それは、とんでもない僥倖ということになるでしょう、少なくとも僕にとっては――

 反対に――
 愛した女性に恋する驚きというのも、あるかもしれません。
 こちらは、もっと難しいでしょう。

 肉親に恋するようなものです。
 あまり現実的ではないですよね。
 せめて、幼なじみに恋するようなものと、言い換えておきましょう。

 物語の中では、よく描かれます。
 あだち充さんの『タッチ』が典型でしょうね。

 愛が恋を抑え込む――抑え込むうちに恋がみえなくなり、いつしか愛もみえなくなる――そういう物語だったと、僕は解釈しています。

 恋した女性を愛せる喜びか――
 愛した女性に恋する驚きか――

 僕は、前者に縁はなさそうです。
 後者を目指して、ちょっと頑張りますか――