マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

愛国を声高に叫ぶ人は

 愛国の強要が始まっているようです。

 顕著なのは教育現場でしょうか。
 通知表の評価欄に「愛国心」の項目が加わりつつあるとか――

 憲法改正問題にも絡んできています。
 条文のどこかに「国を愛する云々」が盛り込まれるとか――

 厳密な議論は措きます。
 詳細はフォローしておりません。

 が、最近、報道などでヒシヒシと感じるのです。

 ――愛国の強要

 を、です。

     *

 国という機構は大切です。
 僕らが安心して暮らすための約束事です。
 もし、いま日本国がなくなれば、僕らは酷い目に遭う――分別のある大人なら、わかりきったことです。

 が、そのことを、よくわかっていないようにみえる人たちがいることも事実です。
 日本国がなくなったら、どんな目に遭うか――想像できない人たちもいる。

 国という機構がもたらす利点――日本国が日本人にもたらしている恩恵――
 その理解を多くの日本人が共有することは大切です。

 が――
 愛国の強要は無意味です。

 愛は、その対象が人であれ国であれ、強要すべきことではありません。
 自然と芽生えてくる心理です。

 芽生えてこなければ、どうしようもない。
 子を愛そうとしない親に何をいっても無駄なように、国を愛そうとしない人に何をいっても無駄です。
 むしろ、反発や曲解を促しかねない――国など存在しなくても全く困らない、というように――これが危険なのです。

 戦前、結果として、この国に災禍を招いた指導者たちは、愛国の要諦がわかっていなかったように思います。
 わかっていれば、国家元首に軍服を着せたり、国民に戦死を強いたりする気にはならなかったでしょう。
 そんなことをすれば、必ず一定数の人々によって国という機構が忌避される――現に、忌避されたのです。
 愛国が反発され、曲解された典型であったと感じます。

 だから――
 いま政府が成すべきは愛国の強要ではなく、国という機構がもたらす利益の実体を人々に広く理解させることです。

 愛は理解と納得とに根差す心理です。
 研ぎすまされた理性が内発的に生み出す自然な気持ちです。

 愛の創発は人知を越えます。理屈ではありません。
 国という機構を理解しても、国を愛せない人はいる、数学という体系を理解しても、数学を愛せない人はいる――それと同じです。

 とはいえ、国という機構を受容することは、自分たちの生活を守るための必須事項です。
 国がなくなれば、どうなるか――僕らは真摯に想像し、理解する必要があります。
 いま日本国がなくなれば、多くの日本人が迷惑をする――そのように想像させることが何よりも大切なのです。

 愛国を声高に叫ぶ人は、愛や国の本質が、よくわかっていないのではないでしょうか。
 国を愛するように強要したら、逆に愛されなくなる――それが愛や国の本質です。