マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

もう10年早く

 ここ2、3年で、小説のことがみえてきました。
 より正確には、

 ――自分のやりたがっていたことがみえてきた。

 ということです。

 僕は小説を書いています。
 本格的に書き始め、もう20年近くになります。

 ずっと小説を書きたいのだと思っていました。

 が、実状は違います。

 僕は物語を紡ぎたかったのです。
 世界や人物に根差した物語です。事象には重きを置かない物語です。

 こうした姿勢は、呆れるほどに徹底しています。
 僕が紡ぐ世界や人物を一つひとつ丁寧に記述していったら、たぶん読む人はイヤになる――

 それで、ある時を境に、自分の紡いだ世界や人物の全てをみせることは諦めました。
 そのほうが小説らしくなると思ったからです。

 実際、だいぶ小説らしくなったと思います。

 が――
 小説とは、そういうものではないのですね。

 小説とは手法です。
 にもかかわらず、その本質は、

 ――規則や形式がない。

 ということです。

 どんな物でも、書いた本人が小説といえば小説になってしまう。
 文芸に虚構を持ち込むことの意味を、僕らは真剣に考えなければなりません。

 ――みえてきた。

 というのは、そういうことです。

 僕は小説のことなどは、本当はどうでもよかった――
 ただ、自分の物語を紡ぎたかった――それだけです。

 もし、このことが、もう10年早くみえていたら、どうなっていたでしょうか。

 たぶん今とは全く違う道を歩んでいたでしょうね。
 ちょっと恐い。

 が、後悔はしていません。