マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

いつも小説のことを

 ――小説家は、いつも小説のことを考えている。

 先年、ある作家さんがメディアでコメントしておられました。

 たしかに、そうなのでしょうね。

 必然なのだと思います。
 懸命に努力して考えているのではないだろうということです。

 僕は小説書きです。

 ――いつも小説のことを考えている。

 という感覚は、よくわかります。
 実際、それに近い状態ですから――

「近い」というのは、本当に「いつも」ではないということです。
 たまには、小説のことを考えたくないときがある。

(あー、ヤダヤダ!)
 と、いうときです。

 そういうときは、ワザと別のことを考えたりします。

 が――
 そのようなときでさえ、小説のことを考えてしまうことがあるのです。
 それも、

 ――考えたいという衝動を抑えきれずに、つい考えてしまう。

 というのではなく、

 ――本当に考えたくないのに、考えずにはいられない。

 という状態です。

 これは意外に苦しいのですね。
(もう勘弁してくれ)
 と思います。

 小説書きは、物語をみせるのが使命だろうと考えています。
 本当に価値があるかどうかはわからない物語を、です。

 そして、その物語が、なかなかみえてこないときもあるのです。
 そういうときに、なるのですね。

 ――考えたくないのに、考えずにはいられない。

 という状態に――

「考える」というのは、たぶん正しくはないでしょう。
「みようとする」が正しい。

 ――みたくないのに、みようとせずにはいられない。

 ということです。

 昨日も、そうなりました。

 困りました。

 全てを放り出し、山奥にこもりたくなりました。