昨日に引き続き、天気が良かったので――
散歩に出かけました。
仙台の街中を歩いていると、恋人同士や家族連れなどが目に付きます。
もちろん、友人同士にみえる人々もいないことはありませんが――
圧倒的に少数でしたね。
ちなみに、僕みたいに一人で歩いているのも少数です。
街中を歩く恋人同士や家族連れをみていると――
あることに気づきます。
目が生きている人たちと、死んでいる人たちとに、わかれるのです。
目が生きている恋人同士や家族連れは、みるからに楽しそうです。
まさに、今の生を謳歌しているという感じです。
みているこちらまで元気になってきます。
が、目が死んでいる恋人同士や家族連れは、みるからにつまらなそうです。
仕方なく一緒にいるという感じです。
みているこちらまで元気がなくなってきます。
とくに、みていて辛いのは家族連れです。
お父さんもお母さんも目が死んでいる。
当然、お子さんも目が死んでいるのですね。
こういうと、
――仕方ないだろ!
という声がきこえてきそうです。
――いつも一緒にいれば、自然とそうなってしまうのさ。
と――
たしかに、そうかもしれません。
が――
ごくたまに年配の御夫婦が楽しそうに手をつないでいたりするのをみると、
(そうもいってられないな)
と感じます。
男女の相性というものは、人間の知恵では、どうしようもありません。
いくら相性がいいと思っても、実際に深い仲になったら、うまくいかなかった、というケースは珍しくありません。
逆に、そんなに相性がいいとも思えなかったのに、意外とうまくいったなんてケースもある。
男女の相性なんて、そんなものです。
が――
それでも男女の相性は厳然と存在し、男女の幸・不幸を左右する――
人間の知恵では、どうしようもない――そんな残酷な現実を、突きつけられたように感じました。
だから、信じるだけなのですよね。
男女の相性なんて絶対に計算してはいけないのです。