マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

物語の人物を多角的に眺める

 僕が小説を書いていて非常に面白いと感じるのは――
 物語の人物を多角的に眺めるときです。

 例えば、

 ――フリーターの青年が勤め先の上司に気に入られ、正社員に昇格し、出世街道をひた走り、最後は、その会社の社長に抜擢されたが、部下の裏切りにあい、無一文になった――

 みたいな物語を考えたとしましょう。

 これは物語の事象ですね。
 フリーターが社長になって最後、無一文になるという――

 では、このフリーターから身を起こした社長は、どんな人間なのでしょうか。
 もちろん、仕事はできたでしょう、フリーターから正社員に昇格したのですから――
 出世街道をひた走るのですから、目上の人間に好かれるタイプだったと考えるのが普通です。

 他にも、物語の事象を自然にみせる性質が、幾つも挙げられる――

 が、こうした考察は僕にとっては、ひどく退屈なのです。

 こうした考察は、所詮、記号や象徴の操作です。
 記号や象徴の操作は学問の十八番です。文芸でやるべきことではない――と、僕は考えております。

 文芸でやるべきは、そうした操作から逸脱する部分を深めることだと考えております。

 フリーターから身を起こした社長は、実は仕事下手だったかもしれない――上司受けが悪かったかもしれない――
 なのに社長の座に登り詰めたーー
 そこに虚構の力――人の心を動かす力――の源があると思うのです。

 物語の人物を多角的に眺めるとは、そうした考察を指します。